【暮らし】考える習慣

    物事には全て理由があると思っています。

    「それはなぜ?それはどうして?」と突き詰めて考えていく習慣があります。これは子供の頃からなので、生来身につけているものだと思いますが、親からは「おまえは理屈っぽい」「うるさい」「屁理屈を言うな」と言われ続けて親からするとひどく面倒な子供だったように思います。私から言わせれば、理屈っぽくもないし、屁理屈も言ってはいないし、その根拠や理由を教えてくれと言っているだけです。なんでなのかと。それを説明できない大人に問題があると思っています。つまり合理的ではない理由でなんとなくであったり、固定概念であったり、感情であったり、そういうものだと決めつけて言っていると思われます。


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    子供にとって親や学校教員というのは極めて身近な大人で絶対的な存在ですが、親や教員が言うことが全て正しいかと言うと決してそうじゃない。大人になった今ならそう思いますが、子供の時は絶対的な存在である親や教員が言うことは全てが正しいはずなのですが、その正しいはずの大人に対して「あれ?それは違うと思う」「それはなぜ?」と言うと非常に疎まれてしまいます。疎まれるどころか、頭ごなしに感情的にやり込められてしまいます。相手が子供だと思って舐めているからです。合理的に説明できないと感情的に声高に責めたり怒鳴りつけたりする傾向もあります。

    それっておかしいよ、子供が考えたって理に適っていない、それを合理的に説明できないようなものが正しいはずがない。と今でも思っています。

    だから何事も考える。
    それはなぜ?それはどうして?と繰り返し考えて答えが見つからないものは正しくないと思っています。もちろん合理的に説明できない世界があるのは百も承知です。幸いにも勤めた会社ではこういうロジックを大事にする会社でありいろいろな場面で「それはなぜ?」と問われ続けましたし、私も問い続けました。なかなか合っていたのかもしれません。



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    shoji(しょじ)
    Posted byshoji(しょじ)

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