僕のバイブル『韓国の昭和を歩く』と『韓国の美味しい町』
僕は韓国が好きでこれまでもう数え切れないほど歩いてきた。
最初はソウルへ行き、落ち着ける宿とも出会い、ソウルのエネルギーの中に身を任せているとなんとも幸せな気持ちになれた。
仕事に追われていた30代の後半のことである。
そのうちに言葉を覚えないとソウルでは不自由を感じるようになった。
何年か独学で勉強したのだが、それでは一向に上達しなかった。これはきちんと学校に行って勉強しないと駄目だと悟り学校に通うことにした。
忙しい毎日の中で週に2回平日通うことにはかなりの無理があったが、学ぶことがこんなに楽しいことだとは40歳を過ぎて初めて知った。新鮮な驚きであった。
ソウルでは、市場や路地裏、そしてタルトンネを歩いてきた。
人々が普段着で生活しているところに魅力を感じた。
なんの飾りもない生活が垣間見れるそんな路地が好きだった。
写真を撮っていると突然おじさんに怒られることもしばしばだった。
何を言っているのかはわからないのだが「何やってんだ!」と怒っているに違いなかった。
言葉を覚えてからは、きちんと説明できるようになり写真も取りやすくなった。
やがて、戦後60年を経て今も残る日本家屋に関心が移ってきた。
そんな時に出会ったのが、鄭銀淑(チョン・ウンスク)さんの『韓国の昭和を歩く』である。
日本家屋を求めて韓国中を歩いていたが、そんな時にこの本にであったのだ。
それからはもうこの本はバイブルとなった。
ただ、ガイドブックではない。
日本家屋がある街に行ってもどこにあるのかはわからない。
バスターミナルで降りて、途方に暮れたことも一度や二度ではない。ほぼ毎回そういう苦労をした。

彼女のこの本に出会ってからは、韓国での僕のテーマは日本家屋を探し歩くことになった。
きちんと補修されて大事に使われている家もある、一方で和韓折衷のへんてこな家になってしまったものもある。
そして誰も住まなくなり、まさに朽ち果てようとしている日本家屋もあった。
この写真は、韓国南部の鎮海(チネ)という街で見つけた日本家屋だが、妙な和韓折衷に改修されている。
丸窓の中の格子戸と玄関のドア、そして屋根の形で日本家屋とわかる。
こんな変な改修をされていてとても残念だが、それでも戦前に建てられたことを考えると70年は経っているこの日本家屋が居間でも残っていることに、不思議な感情を覚える。
現在は犬肉料理屋として使われているようだ。

やがては、なくなっていくだろう運命にある日本家屋をこの目で見ておきたい。
そう思うようになって、韓国中を歩いてきたのです。
「日本家」は文字通り「イルボンチッ」と読むのだが、一方で「敵性家屋(チョクサンカオク)」とも呼ばれている。
日本人が建てたこの日本屋は韓国の人から見たら敵性家屋なのだ。
この地に日本家屋があるという事実、それはそこに日本人がいたという歴史があった。
古ぼけた日本家屋には、そこに消し得ない歴史があるのです。
チョン・ウンスクさんのファンとなってからは、次々と彼女の本を手にするようになった。
「韓国の美味しい町」という本を手にして『ゲミ』を求めて全羅道を旅したことも想い出深い。
ちょうどその時僕は仕事に行き詰っていた。
ゲミとは、全羅道でしか通じないのことばで、独特の表現だ。漢字にすると『佳い味』である。
味付けがうまく重なり合って深く熟した味、それがゲミ。そのゲミを求めて僕は旅をした。
本当にゲミというものがあるのかわからなかったのだが、出会えても僕にはそれがわかるか自信がなかったのだが旅に出た。
僕は、会社の中で自分の存在がゲミであると自負していた。ベテランが醸し出す仕事。
僕の手の中から生み出す仕事にはゲミがある。
そう思っていたのだが、自信を失いかけていた。
「ゲミ」を求めて全羅道を旅して、「手の味(ソンマッ)」がなんとなくわかるようになり「ゲミ(佳い味)」にも出会えたような気になった時に、失いかけていた自信を取り戻す事ができたのである。
チョンウンスクさんの本に僕は救われたのです。
それから彼女の本は僕のバイブルとなった。
久しぶりにこのGWの韓国旅行では、ありったけの彼女の本を持って旅に出ます。
そう、ソンマッを感じることができるように。

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